電子書籍は人の意識と社会を変える。音読から黙読への変化と同じくらい。

僕が電子書籍について考えていることを書きました。

今回は、先日のDTP Booster014レポートの続きでもあります。この時のレポートで書きそびれていた項目は、

  • ビジネスモデルは?
  • 電子書籍はWEB化するのか。そもそもインターネットとはなんなのか。
  • テキストとは何か
  • ユーザはどのようなものを受容し、5年後に一般に普及しているものはなんなのか。そもそもコンテンツとは何か。
    →エクスペリエンスとコンテンツ受容の違いを抑えて考える

といったことでした。ビジネスモデルについては、後日。今回は下の3つについてです。

論旨
電子書籍が普及することによって、人間の意識はどう変わって、社会はどう変わるんだろうというこれからの世界を考えています。では、過去、本やテキストは人間の意識や社会をどう変えたのだろう。さかのぼれば、文字の誕生(声しかなかった→文字ができた!)というところが最初のポイントだと思いますが、今回は印刷の技術が出てきて安価な本が大量に出てきた頃(15世紀から、200~300年スパン)のことを考えました。
安価な本が出たことによって人の意識も社会もものすごく変わりました。今から5年、10年の間にそれと同じようなインパクトを持つ変化が起こるような気がしています。
(後日、そういう認識に基づいて電子書籍の販促やコミュニティ作り、プロデュースはどんなものになるのかを書きたいと思います)

写本
中世ヨーロッパの写本

黙読という技術

昔の人々は、黙読をせず音読をするのが普通でした。

まずは、アウグスティヌス著『告白』から。

「彼(*アウグスティヌスの師アンブロシウス)が読書をしているとき、その目はページをすばやく追い、精神はその意味を鋭く探究しているのだが、舌は停まったままで声をを出すことはなかった。(中略)彼は決して声を出して読書することがなかったのである。」

アウグスティヌスは、紀元4世紀中世古代キリスト教世界を代表する大知識人ですが、その彼が、師匠が黙読しているのを見て驚いています。

古い時代には人々は本を読むとき、声に出して読んでいて、時代を代表する知識人もその例外ではなく、黙読という読み方を初めて見て驚き、著書で報告しているというわけです。

黙読は、実は歴史の長いものではなく、日本でも黙読が行われるようになったのは、明治になってからというのが通説です。
僕もこの話を大学で聞いたときは驚きました。

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音読と黙読

  • 音読時代
  • 黙読の始まり。『黙読=個読』
  • 黙読がもたらした意識の変化、社会の変化

を順番に見ていきたいと思います。

音読時代

昔の本

印刷が出てくるまでの書物というのは、カバーは超豪華、中は羊皮紙にカリグラフィーで書かれており、非常に高価。大きさも片手じゃ持てないものもあったわけです。

写本テキストと絵柄
15世紀末に作られた本で、文字部分は印刷(ただし木版)で周りの絵は手描き。

作業は、
写本をする人
こんな感じで一冊一冊職人が気合で作ります。

価格

現代の価格に直すと、いくらくらいかかるのか試算がありました

  • 羊皮紙9頭分:135,000円
  • 筆写([email protected]):140,000円
  • イニシャル装飾(一式):50,000円
  • 細密画(大)8点(@20,000円):160,000円
  • ボーダー装飾16ページ(@5,000円):80,000円
  • 製本(一式):50,000円

合計:615,000円

iPad 10台分です。これは、小さい時祷書の場合なので上の写真のような大きなものは車が買える値段とかでしょう。

聖書や神学書、音楽理論書など全てがこのノリで作られ、町の教会に1冊だけ会って、普通の人には触ることもできませんでした。
一般の人たちが文字を読めなかったということもありますが。

音読している風景

「昔の人は黙読ができなくて、音読していた」というと一人で机に向かって小学生のように声を出して読んでいたシーンが思い浮かびますが、それはちょっと違います。そもそも普通の家には書斎とか本棚という概念がないです。

では、どんなかというと、教会で礼拝に集まった人たちに、神父さんが神の言葉を伝えるために朗読するとか、裕福な家の親が子供たちに物語を読み聞かせている、というイメージのほうが正しいようです。

昔の礼拝堂
昔の古い町の礼拝堂(イメージ)

朗読をする神父
朗読する神父(イメージ)

知の形

本が高価な古い時代の知の形も今とは違い、

「知識人である≒記憶している本の数が膨大」

でした。
写本は高いし数がないので手元においておけない。借りた本を音読し、体に取り込むようにして覚える。あの神学書に「○○」という一説があるように〜、というように議論します。
日本でも、子どもが論語を諳んじていましたが、僕たちが今思うような記憶とは違って、もっと身体的な知の形だったんだと想像できます。

文字=音の記録=再生されるもの

文字はもともと音声を固定して記録しておくために発明されました(ですよね?)。だから、そもそもの発想として「文字は読まれるもの」というのがあったんだと思います。

世代世代で口承されていた物語とか誰かが書いた美しい詩や戯曲、何より宗教的に重要な言葉などの、共同体の中で大事な言葉が忘れられてしまわないように、次の世代が語り継いでいけるように書き留めたと思えば、本を読むといえば音読が当然だった世界が理解できます。

ロゼッタストーン
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今みたいに、大量の文章を情報としてガンガン読むとか、速読だとか、暇つぶしに消費するというのは思いつきもしてなかったろうと思います。

聴衆からすれば、本は、ロゴスの凝集されたもの、(情報というよりは)智慧が詰まったもの、すごい言葉が記された書物で、美しく祭壇に飾られていたり名家の主の書斎に大事にしまわれていて、神父や持ち主が読んで聞かせてくれる時にありがたく拝聴するだけ、というのが本との関わりだったわけです。

また、古い文章が、韻を踏んだ詩の形に取っていたり戯曲だったり対話だったりしていることが多いのも、声に出して読まれることが前提だからです。

現代で言えば楽譜や歌詞カードみたいなもので、情報として黙読しても意味がなく、ある作法で詠いあげて(またそれを聞くことで)はじめて生きた形で、その価値を感じることができました。

再生されるために作られたレコードとかMP3データみたいなものでしょうか。技術がないので文字にしたっていう。

黙読の始まり。『黙読=個読』

黙読の始まりは、活版印刷の発明以降少しずつかけて始まります。

大量の本が出まわるようになり、手元に何冊も所有できるようになり、サイズも小さくなり、今の文庫本のようなものも出てきて、気軽に人に貸したり持ち歩いたり、ベッドで読めるようにもなった。

そして、知的好奇心の読書や自分の楽しみのために読む娯楽の読書が始まりました。

本を読む女

書籍自体の変化(稀少な高級品/美術品で超大事→軽くて安くて大量にあるので気軽)と、それに伴う読書スタイルの変化(有り難いものを拝読・拝聴する→一人で読む)があって、黙読という読書技術が一般化する土台が整ったというわけです。

こうして考えると、黙読は一人で読むこと=個読(僕の造語(^_-)/)と一緒に登場したということが言えます。

安価な本 → 気楽な本 → 個読 → 黙読

ちなみに全然関係ないですが、木版での印刷が始まったとき、すぐにそれに対応したフォントや本の形が出てきたという話がみつかりません。美麗な本を真似た印刷本がはじめは多かったようです。その辺りは、iBooksが本のメタファーを残しているのと同じ感じですね。。
iBook

黙読がもたらした意識の変化、社会の変化

近代的な個

みんなでせーので聞いていたものを、自分の部屋で一人で読む、それは人間と本が一対一で向かい合うことができるようになったということです。

集会で本に触れるというのは、教会などの本の持ち主に情報や感情、知や思想をコントロールされている状態なわけで、教会で言えば、荘厳な建物の中にキリストの物語を示す絵画や彫刻が飾られ、美しい聖歌を伴って神父が読み上げるものを聞く、というまさに宗教的なイベント的な状態だったわけです。洗脳状態。

そして、そういう情報の与えられ方をしていれば、「自分」とか「主体」「個の確立」ということにはなりません。

ところが、安い本がたくさんあって、手の中に収まるサイズでとなると、読む本を選び、ファンになったり(著者の誕生!)、異なる視点を持つ本を比べたり、そのうちに批判的な目線を本に向けることも出来るようになります。一般の「読者」というのが生まれたということです。これまでは信じるしかなかったものを、考えることができるようになった。「我思う」とか「考える葦」というような知性の世界です。

ザクっと言ってしまうと、格式張って聞かなければいけないお説教本じゃなくて、様々な思想本からエロ本まで個人で読み耽ることができる本を人間が手に入れた、という理解です。

印刷という技術や本の変化が、近代的で主体的な個の発見に寄与していた、少なくとも同時に進行していたということで、技術の進歩はやっぱりすごくて、人間の内面を変える可能性があります。

蛇足ですが、小説、特に人間の内面をツラツラと(?)書くような私小説は、当然これ以降のものです。官能小説とかもこういう時代に出てきたのではないかと想像できます。携帯一番売れてるのがアダルト、特にBL系のものが多い今の状況と似てます。

(参考)音読と黙読について、面白い文章二つ紹介

近代社会

活版印刷登場の次の世紀に宗教改革が起こっているのを見ると、一対一でテキストと向き合うという意識と、大きな教会を通してではなく、個人が一対一で神及び聖書と向かい合うということの符号が見えてくる気がします。

それまでラテン語で書かれていた聖書を、現地の言葉に翻訳する、というのは教会の儀式的権力的な構造に風穴を開ける結果となりましたが、それも書物が個人の持ち物になったからこそできるようになったことです。

さらに時代を下ると、自由・平等といった観念を伴った市民社会的意識の形成やそれをベースにした民主主義的な国の形を求めた革命が起こり始めるわけですが、これも個人・人格という意識を人間が持つようになったことの結果と言えます。

ひとりひとりの人間が書物を手にしたことの意義は大きかったんですね。

電子書籍登場!!

やっと辿りつきましたが、ぐっと時代が下がって現代、電子書籍の登場です。電子書籍は、手描きの写本が印刷になったくらいのインパクトがある。

とすれば、人間の内面や社会はどんな風に変化するんだろう、というのが、今考えていることです。

手描きから印刷になったことで、

  • 聴衆がみんなで拝聴→読者が一人で読み耽る(個読)
  • 洗脳的→批判的
  • 特定の考え→自分の考え
  • 神の言葉→人間の思考&娯楽
  • 宗教社会→市民社会

といった変化がありました。では、紙の本が電子化することで起きる変化は?

紙と電子書籍の違い

紙と電子書籍の違いには、膨大に持ち運べるようになるとか、文字の大きさを変えられるなど色々ありますが、今回の文脈では、

  • 紙に固定されたインクの染み→データ
  • 目で探す→検索できる
  • 引用が大変→簡単にコピペ
  • 一人で読むだけ→シェアできる
  • 本は本のまま→本の中のテキストを取り出して新しいものを作れる(togetterみたいなまとめから地図との組み合わせとかすごく色々)
  • 本は本棚に→本がインターネットに接続される

といったところだと思います。

テキストとは何か

mp3が出て音楽が電子化され、固定されていた音楽がどんどん混じり合って新しい音楽が作られ続けています。

YouTubeのような動画共有サイトが出て、今までよりもずっと簡単に色んな動画を手軽に見ることができるようになりました。

「電子化→ネットに乗る→手軽になる&みんなが利用出来るようになる」という意味では、今回の電子書籍も同じ形に見えますが、僕は、「音楽や動画がネットに乗る」ということと「テキストが電子化されてネットに乗る」ということの間には本質的な違いがあるように思えます。

テキストは意味、人間の思考そのもの

それは、テキストは意味であり、人間の思考そのものだということです。

僕は、電脳社会という言葉を思い浮かべるのですが、古いでしょうか。
士郎正宗という作家が書いた『攻殻機動隊』という漫画があります。

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押井守によってアニメ化もされ、映画『マトリックス』の監督をはじめ、全世界に影響を与えた日本アニメ界が誇る作品です。そこでは、バイオを含む科学技術が高度に発達した社会が描かれており、人間の脳が直接インターネットに接続されていて、人間はテレパシーのように他者と情報を交換しています。

その世界では、脳に直接アクセスをするため、映像、触覚など5感すべてを共有することができるし、ハッキング(クラッキング)のように他人の脳に無理やり侵入するサイバー犯罪まであります。

人工知能、バイオ技術、コンピューティング、神経学、数学、哲学などの要素が取り入れられていて、ファンの間では、インターネットが究極的に進化した姿を描いていると捉えられています。
media News 近づく攻殻機動隊の未来 ネットの発達と人の心

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こういった5感までハックする世界がいつやってくるのかは分かりませんが、テキストが共有されるということは、意義的には同じことのように思います。

孫正義さんと佐々木俊尚さんの光の道対談で、佐々木さんの発言に、

ネットは必ずしもリッチなコンテンツであればそれでオッケーと言うわけではないと思いますよ。基本的にインターネットはテキスト文化であって、多くの人はツイッターやあるいはSNSのような、ソーシャルメディアを活用するっていうのが非常な魅力になってきているわけですね。

というのがありました。(該当部分書き起こし – 書き起こし.com)

ツイッターやフェイスブックのようなSNSがどんどん発展していったときに、人々に共有され、知的刺激を生み、いい意味で改変されていくという意味で、画像・音声・動画はテキストにはかなわない。テキストは意味であり、人間の知性そのもの、思考の道具でアウトプットだからです。

僕たちの日々のインターネットコミュニケーションを見てみても、ほぼテキストでコミュニケーションをとっています。写真や動画はコミュニケーションのきっかけ、題材、参照物ではあってもコミュニケーションを担うためのものではないです。

さらに、写真や動画は意味のとり方、解釈の仕方が色々です。誰にでも分かるきちっとした意味を持ちにくい。その点テキストは意味/定義を持っているので、コミュニケーションを取りやすいです。

現在デジタル化され、インターネット上に公開されている資料はごく一部。全世界の本(新刊も図書館に所蔵されているすごく古い本も)がデジタル化されれば人間世界の知が全て、検索され、引用され、シェアされ、改変され、コミュニケーションの基礎になります。

この変化ってすごくないですか?電子書籍はこんなふうに人間の意識や社会を変えていくと思うのです。

ツイッターのタイムライン(この「時の線」という言い方も示唆的ですね)をバーっと追うとき、頭の中では欲しい情報いらない情報をかなりの速さで取捨選択しています。

僕がツイッターで読んでいる情報の種類、(人の感情や議論を含んでいるという意味での)情報の深さを考えると、新聞とはまったく質が違うものになります(文字数的にも匹敵するかも?)。新書一冊にはまとまらないです。全然活字離れしてませんよね。
こういうことが全員の頭の中で起こり続けている世界。

今まで、紙の本を丁寧につくってきた。その姿勢は今後もまったく変わらず価値のあることですが、紙の本は出来上がって読者のもとに届くと、基本的には読者一人の体験の中に留まってました。個読=孤読という側面があったわけです。

これからは孤読ではなく、シェアされていく時代になるのでしょう。(シェアリーディングと呼ばれ始めています)

紙の本 = 孤読
電子書籍 = シェアリーディング

電子書籍化するということは、こういう情報の海に本のコンテンツが入っていくということで、すごい興奮してしまいます。

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ユーザはどのようなものを受容し、5年後に一般に普及しているものはなんなのか。そもそもコンテンツとは何か。体験とコンテンツ受容について

コンテンツといった場合、ひとまとまりのパッケージが思い浮かびます。
ですが、インターネットが普及するに連れて、ひとまとまりだったものが、少しずつ断片化して共有されるようになってきています。

映画と共有される動画

映像の場合で考えて、映画とYouTubeを比べてみると、映画は映画館という密室の中で最初から最後までの2時間それだけを楽しむ時間をユーザに提供しています。

対して、YouTubeにUPされている映像は、サイト側の制約もありますが長くて10分です。
動画の内容も、何かを引用して作られた作品だったり、別の動画に対する返答の形をとっていたり、ブログのようにある作者のシリーズ物のコンテンツだったりしています。単体で作品として成立するものももちろんありますが、その作品にしても、もっと大きな文脈の中に取り込まれています。

長さが短いこと、単体ではなく文脈の中で生きる動画が多いことが映画との違いです。

また、ユーザが動画にたどり着く過程も違います。
映画の場合、新しい映画に人を呼び込むためには、お金をかけた広告をすることによってお客さんに知ってもらうことが必要です。

一方動画サイトに上がっている動画は、サイト上のランキングであったり見ている動画の関連動画、同じ作者の動画という偶然によってだったり、ツイッター、ブログ、SNSといった別の場所で既に繋がりのあるユーザからのオススメによってみつけるようになっています。

書籍は?

書籍についても、上の映画のような感じになっていくかもしれません。つまり、断片化、文脈化、共有化されるのではないでしょうか。

面白い本があると、ユーザはその面白かった文章の一部をコピーして共有サイトにペーストします。そこには、その著者のことが好きなんだけれども今回の本を買うかどうか決めていない人もいれば、検索してやってきた人もいる(kakaku.comみたいな感じで)。
別の本を探しに来ただけでその本にはまったく関わりのなかった人もいるかもしれません。

また、投稿者は、投稿したことをツイッターとfacebookに報告します。もし、その投稿者にフォロワーが1000人いて、クリックされる率が3%だったとすると30人の人がそのサイトにいきます。

その中で、議論に参加する人が5人、購入する人が1一人いるかもしれません。断片化された文章が、様々な文脈の中で共有されるようになり、それによって本は知られ、議論が生まれ、購入にも結びついていく世界(市場)になっていきます。

ここで、買われているのは、直接的にはもちろん電子書籍という商品そのものなのですが、ユーザとしては誰かに薦められ、議論に出会い、興味を持ち、コミュニケーションを取り自分の考えを発信し議論し、共感したり喧嘩するという経験の中で電子書籍にお金を払うようになります。

紙の本 = コンテンツを買う。
電子書籍 = 体験を買う。コンテキストを買う。

次回!:電子書籍時代のマーケティング

こういう情報がどんどん交換される環境の中で、電子書籍を出版し、多くの読者に届けるためにはどうしたらいいのか、後日になりますが、考え中のことを書いていきたいと思います。

予告としては、新聞広告等のマス向けの広告だけでは全然なく、検索され、引用され、シェアされ、改変されていくように、アジェンダをセッティングし、インターネットメディアの中で存在感のある人々を巻き込み、コミュニケーションや議論の場を作り、モデレートし、多くの人たちの目に触れる一瞬一瞬をできるだけ増やすということが必要、みたいなことになると思います。

DRMとかってどうなんでしょう?という話にも触れることができればと思います。

募集!

アメリカ、ヨーロッパで、こんなプロモーションを知っているよ、こんな議論の場を知っているよ、という方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。
twitter id = @shinichiNまでお知らせ頂ければ嬉しいです。

よろしければ、お近くまでお伺いしてお話を伺えればとも思っています。(お礼は、このブログからリンクするとかtwitter上で何かを褒めまくるとか、そういうことしかできないです。何か出来ることがあれば言ってください。お金はないです><)

よろしくお願いします。

また次回。

↓ プラグインを作る方々への本、書きました。 ↓

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電子書籍は人の意識と社会を変える。音読から黙読への変化と同じくらい。」への5件のフィードバック

  1. とても興味深いご意見でした。
    電子書籍がテキストのオールデジタル化という概念から見れば、ボキャブラリーという枠を大幅に拡張出来る時代がきたと感じております。
    個人での拡張枠が広がれば
    「この気持ちなんて言って表現すればいいか分からない」
    といった祖語のようなものまで、検索され明確にテキストとして表現できる。
    言葉にできない概念があると思われている現代は
    実はどんな賢人でも世界中のテキストをデジタル化し共有した先にあるものを体験したことが無いゆえの妄想なのかもしれませんね。

  2. オングの「声の文化・文字の文化」の影響を強く感じました。ハイパーテキスト論が盛り上がったのはネットが出てきた15年ぐらい前ですが、電子書籍で再度火が付きつつあるのが興味深いです。